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『QED 神鹿の棺』
平安中期に編纂された書物で、
当時の朝廷からとても重要視されていた、
官弊社の一覧『延喜式神名帳』には、
「神宮」と号された社が、
たった三社だけ記載されています。
それはどこかというと、
もちろん、伊勢国の「伊勢神宮」。
そして、
常陸国の「鹿島神宮」。
下総国の「香取神宮」。
この三社なのです。
熱田神宮も、石上神宮も、
もちろん、出雲大社も、伏見稲荷大社も、
「神宮」と号されていなかった時代に、
どうして、京から遥か遠く離れた東国のこの二社が?
その理由としては、交通の要衝だったからとか、
蝦夷を見張るためだったからとか、
さまざまな理由が述べられていますが、
それらは全て後世の理論。
明らかに後付けです。
当時はもっと、論理的で根元的、
そして、そうせざるを得ない逼迫した理由が、
あったはずだからです。
しかも、鹿島・香取の二神宮に、
やはり茨城県に鎮座する、息栖(いきす)神社を加えると、
霊験あらたかな「東国三社」となり、
見事な「直角二等辺三角形」を作っているため、
現在では「東国三社パワースポット」として、
一般の人々にも大人気のようです。
では、そもそも誰が何のために、
「直角二等辺三角形」を作ったのか?
もちろん、偶然にそうなったわけではありません。
そこには何者かの「ある意図」が働いていました。
というのも、鹿島神宮と息栖神社は、
同じ年にわざわざ現在地に遷座しているからです。
ならば、その意図は何か?
更にもう一歩進んで、
その何者かが「直角二等辺三角形」を作らなくてはならないと考えた理由は何か?
それを追求して行くと、
とんでもない歴史にぶち当たりました。
正直ぼくも「まさか」と思わず目を疑ってしまうほどでした。
しかし、昔人はきっとそこまで考えていたのだろうと感じています。
常陸国には鹿島・息栖だけではありません。
大洗磯前(いそざき)神社。
酒列(さかつら)磯前神社。
大甕倭文(おおみか・しとり)神社。
静(しず)神社……などなど。
長い歴史と謎に満ちた神社が数多く存在しています。
今回、長い間口を閉ざして眠られていた神々を
揺り起こしてしまったかも知れませんが、
この、実に恐ろしい旅に(笑)
ぜひ皆さまも、おつき合いいただければと存じます。